世界中で愛飲者が多く、日本でも一人当たり一週間に約11杯*も飲まれていると言われる“コーヒー”。「朝はコーヒーを飲まないと一日が始まらない」という方も少なくないのではないでしょうか?
毎日何気なく飲んでいるコーヒーですが、その起源や歴史についてはどれくらいご存知ですか?次のコーヒータイムに他の人に教えたくなるようなコーヒーにまつわる豆知識をご紹介します。
*全日本コーヒー協会「日本のコーヒーの飲用状況」から(クリックするとPDFファイルが開きます)
INDEX
コーヒー発祥の歴史にまつわる2大伝説
コーヒーの発祥については、正確にいつ・誰が発見したかはわかっておらず、さまざまな説があります。
その中でも、エチオピア起源説とアラビア起源説の2つの説が一般的によく知られています。
1.エチオピア起源説
エチオピア起源説は、レバノンの言語学者ファウスト・ナイロニが1671年に書いた「眠りを知らない修道院」という本の内容が元になっています。
西暦6世紀頃、エチオピアの高原でヤギを放し飼いにしていたヤギ飼いのカルディは、放し飼いにしていたヤギたちが夜になっても休まず元気に跳び回っているのに気付きます。
不思議に思ったカルディはヤギたちを観察し始め、ヤギたちが高原に自生していた赤い実を食べているのを見つけます。そして自分も試しに口にしてみると、全身から力が湧いてきたのです。
そのことを町の修道士たちに告げると、修道士はさっそく赤い実を修道院に持ち帰り、そこからコーヒーは徹夜の宗教行事で睡魔に打ち勝つ“秘薬”として知られるようになったということです。
ちなみに、コーヒーショップとして人気の高い「KALDI COFFEE FARM」の“KALDI”はこのヤギ飼いのカルディから取られています。店内のイラストはこの言い伝えを絵で表現したものなので、次回お店に行くときには注目してみましょう。
2.アラビア起源説
アラビア起源説は、イスラム教徒のアブダル・カディが1587年に書いた「コーヒー由来書」という本の内容が元になっています。
13世紀頃、イエメンのイスラム僧であるオマールが、無実の罪で領主によってモカという町から山へ追放されてしまうところから話が始まります。
食べる物もなく山中をさまよっていたオマールは、一羽の鳥が赤い木の実をついばんでいるのを見かけます。飢えに苦しんでいたオマールは迷わず実を口にしますが、その実はおいしいと言えるような味ではありませんでした。ただ、しばらくすると山中をさまよって疲れ切っていた身体に力がみなぎってきて、気分も爽快になってきたのです。
同じ頃、オマールを追い出した町では、病気が猛威をふるい、人々を苦しめていました。人々は以前にオマールの祈りで助けられたことを思い出して、すがる思いでオマールを山中で探し出します。町の惨状について聞いたオマールは深く憂えて、前と同じように祈りを捧げました。そして不思議な力を与えてくれた赤い実の煮汁を人々に与えます。
すると人々は次々と病から回復し、町は活気を取り戻しました。そして無実の罪で追放されたオマールは、今度は『モカの守護聖人』として町に戻ったということです。
この2つの説がもっとも有名なコーヒーの起源の2大伝説です。ただし、こうした説よりもはるか昔の西暦900年頃のアラビアの医師ラーゼスが書いたと言われる文献の中にもコーヒーに関する記述があります。コーヒーの実を煮出した「バンカム」という薬が、消火や強心、利尿のために効果があると記載されています。
こうしたコーヒーの発祥を見ると、コーヒーは最初、私たちが知っている飲み物としてではなく、薬として広まっていったことがわかります。コーヒーが私たちの知っている焙煎して飲まれるカタチになったのは、13世紀中頃からと考えられています。
コーヒーの歴史:コーヒーがヨーロッパへ広まる
13世紀中頃には、眠気覚ましとしての効果から、イスラム教の寺院の周りにコーヒーの露天が並ぶようになり、イスラム教徒は儀式に参加する前にコーヒーを飲むようになります。
そしてコーヒーはだんだんと当時のメッカやエジプトにも広まっていき、14世紀中頃には、世界最古のコーヒーショップ「カーネス」がコンスタンティノープルで開かれます。
その後、コーヒーの人気の高まりを危惧したメッカの長官カイル・ベイがコーヒーを飲むことを禁止する「コーヒー禁止令」を発令するなど、コーヒーは時代の中で何度も弾圧に直面しながら人々の間に広まっていきました。
そして1583年、ドイツ人のレオンハルト医師がエジプト旅行から帰ってきた際に、コーヒーについて印刷物で紹介してヨーロッパにも伝わります。ただし、キリスト教徒のヨーロッパの人々は、イスラム教徒にとって聖なるものであるコーヒーのことを「悪魔の飲み物」と信じて飲みたがりませんでした。
しかし、当時のローマ教皇であるクレメンス8世が大のコーヒー好きであったことから1600年頃にキリスト教徒の飲み物と公認し、ヨーロッパでも徐々に広がりだします。1650年には、イギリスではじめてのコーヒーハウス(今の喫茶店)がオープンし、紳士の社交場として人気になります。そしてコーヒーの人気は急速に高まり、ヨーロッパ中でコーヒーハウスがオープンします。
中でも1686年にパリでオープンした「ル・プロコープ」は今でも現存していて、ナポレオンも訪れたパリ最古のカフェとして人気があります。
コーヒーの歴史:ヨーロッパから世界へ
コーヒーがヨーロッパで広まった後、ヨーロッパ各国の商人たちが自らコーヒーを栽培して利益を得ようとしたことがきっかけになり、コーヒーは世界へ広まるようになります。
インドネシアやスリランカなど各国の植民地となっていた場所にコーヒーの木が持ち込まれ、大規模な栽培が始まります。
またイギリスの植民地だったアメリカでも1773年に独立戦争のきっかけとなった「ボストン茶会事件」の後、紅茶への関心が薄れてコーヒー人気に拍車がかかります。こうして当時の強国の植民地支配とともに、コーヒーは世界中へと広まっていきました。
コーヒーと日本の歴史
1600年前後から急速に世界中に広まっていったコーヒーですが、日本にコーヒーが紹介され、広まるにはかなりの時間がかかりました。
江戸時代ー出島の限られた人だけの飲み物ー
1612年から始まった“鎖国”のために、西洋諸国で広まりをみせていたコーヒーについて日本の人々は知る由もありませんでした。
しかし、鎖国の間も唯一海外と交流があった出島のオランダ商館には、外国の物が送られていたため、出島に入ることのできた商人や役人、遊女といった限られた日本人は、この時にコーヒーを飲むことができたと言われています。ただし、味が日本人好みでないことや手に入れにくいことから、江戸時代にコーヒーが普及することはありませんでした。
明治時代ー日本初のコーヒーハウスー
人々の間でコーヒーを飲む人がやっと現れるのは明治時代になってからです。文明開化の中で、西洋の文化を取り入れようとする思いが人々の間で高まったり、長崎や神戸、横浜などに外国人居留地ができて西洋人と接する機会が増えたりしたこともあり、日本人の中にもコーヒーを受け入れる人が出てきます。
そして1888年(明治21年)には、日本で最初のコーヒーハウスである『可否茶館』がオープンします。それでもこの時にコーヒーはまだ限られた上流階級の人々の飲み物で、可否茶館は3年ほどで閉店してしまいます。
明治の終わりにかけて、やっと喫茶店がいくつかオープンするようになり、ハイカラ好きな人や、芸術家、文化人が集まり、コーヒー文化が徐々に広まるようになります。
昭和時代ーコーヒーが庶民の飲み物にー
明治の終わりから昭和にかけて、庶民にコーヒーが広まるきっかけとなるような喫茶店がオープンします。例えば、1910年(明治43年)にオープンした「カフェーパウリスタ」はブラジルからのコーヒー豆の無料供与を受けて、これまでの約1/3の値段(5銭)でコーヒーを提供して、コーヒーの大衆化に拍車をかけます。
ちなみにジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻が三日三晩訪れたカフェーパウリスタの銀座店は、現存する日本最古の喫茶店と言われています。
世界大戦でコーヒー豆の輸入が中止されることもありましたが、庶民の間でもすでに人気となっていたコーヒーは、戦後にも広まり続け今に至ります。
歴史を感じながらコーヒーを楽しもう
今回の記事では、コーヒーの発祥から日本でも広まるまでの歴史をご紹介しました。パリの「ル・プロコープ」や銀座の「カフェーパウリスタ」など、コーヒーの歴史とも大きな関わりのある喫茶店が今でも現存しています。
歴史ある喫茶店を旅行で訪れて、歩んできた歴史を感じながらコーヒーの味わいを楽しむのもいいのではないでしょうか。